兼業造形アーティスト
1969年 沖縄県生まれ
1991年 沖縄県立芸術大学 卒業
1993年 東京藝術大学大学院修士課程修了
1996年 東京藝術大学大学院博士課程満期退学
現在、東京の広告会社でアートディレクターとしての仕事をしながら、造形アーティストとして国内外で作品発表や表現活動を行なう

 

「どんなモノゴトも、平等の価値として対等に扱う。そして、固定観念に縛られないで観る。」

私は、沖縄人である。創作する上で、沖縄人としてのアイデンティティー探ることは重要であり、過去の作品においても直接的ではないが、根本では意識をしていた。それは、私的に考える「沖縄的なモノゴトの捉え方」で、「どんなモノゴトも、平等の価値として対等に扱う。」ということであり、「どんなモノゴトも、固定観念に縛られないで観る。」といったことだ。

これまでの作品では、既製品(=既成概念)など当たり前に日常に存在し、ある目的の用途に使用されるはずのモノを、価値ある作品素材として扱い、それを固定観念に縛られない別の観点から捉え位相転換することによって、新しい造形物へと変貌させる表現や、創作活動を数多く行い実践してきた。

しかし、これまで直接表現ではなかった「沖縄的なモノゴトの捉え方」を、ここ最近、直接的に「沖縄のモノづくり」を表現する方法を試みはじめた。

ネガティブなモノを、ポジティブなモノに転換する、沖縄の「 モノづくりのDNAと精神性 」を表現する。

 沖縄は、綺麗な海、空、島というポジティブなイメージがある一方で、過去の戦争の影や「米軍基地」というネガティブなイメージも同時に存在する。それは、ここで育った自分の「基盤(ベース)」にも大きく関わっている。

ネガティブなイメージを無かったことに、これまでを真っ白にしようとも、その過去の歴史は、完全に消し去ることは出来ず、何度も浮かび上がる。 だからといって、米軍基地に対しての不満や怒り、憎しみをぶつけるだけのネガティブなやり方だけでは、結局、何も変わらない。

しかし、戦後の米軍統治下の物資の乏しい中、逞しく、したたかに生き残った沖縄のモノづくり文化がある。米兵の捨てたレコードをヘラに、軍の地図を型紙に、廃棄された薬莢を糊置き用の道具として作られた「びんがた」。米兵の捨てた食品等の缶を胴体に、パラシュートの紐を弦に、収容所にあるベッドの木を棹として作られた「カンカラ三線」。米兵の捨てたコーラやビールの瓶を再生して作られ、米兵帰国の御土産ともなった「琉球ガラス」。

そういった米兵の捨てたモノはネガティブな意味が強く、見たくも、使いたくも無い人もいるはずだ。しかし、それらを忌み嫌うことなく、自分たちの辛さや悲しみを乗り越えるためにポジティブに転換し、文化にまで高めた。そこに、戦前から戦後へと伝統を絶やさずに繋げた「モノづくりのDNA」や沖縄独特の「モノづくりの精神性」があるのではないかと思う。

例えどんな状況でも「ネガティブなモノを、ポジティブなモノに転換する」そんな沖縄の「モノづくりの精神性」を作品化し表現したい。